国宝『唐門』及び重要文化財『観音堂』『舟廊下』保存事業

当山の『唐門』、『観音堂』『舟廊下(渡廊 高屋根・渡廊 低屋根)』は昭和21年の全体修理以後、 昭和47年に屋根の葺き替えを行ったのみで、全体修理はとしては実に67年を経過し(屋根のみでも41年ぶり)、 飾り金具は金メッキが剥れ、彩色は剥落・退色が甚だしく、 漆塗りに至ってはひび割れや劣化が進み多くの箇所で剥落も進んでいました。 桧皮屋根も全体に苔の繁茂が見られ、腐朽が甚だしい状態となっていました。
この為、平成25年度より平成31年度までの6ヵ年の継続事業の予定で、 『唐門』『観音堂』『舟廊下(渡廊)』の檜皮屋根の全面葺き替え、彩色・漆塗りの塗り直し、 及び飾り金具の鍍金メッキ仕上げを主な内容とした修理保存事業を行っております。

国宝『唐門』及び重要文化財『観音堂』『舟廊下』保存事業の内容

事業期間 平成25年4月1日~平成32年3月31日(事業期間72ヶ月)
主な修理内容 (1)屋根(檜皮葺)葺き替え修理
前回の葺き替えより41年余りが経過し、苔の繁茂や経年の劣化による檜皮の腐朽が屋根全体に進み、軒付は一部雨水の漏水が見られることから、檜皮の全面葺き替え工事を行っています。



(2)漆塗り修理
前回の漆塗り修理より実に67年が経過して全体に劣化が進み、特に日光が当たる箇所は乳化(白色化して硬化すること)が進み、ひび割れ・剥落の箇所も多くそこからの雨水の浸潤もあることから、基本的には漆の全面塗り直しを行っています。但し、観音堂の内陣や裏廊下からは調査で移築時(慶長年間)の漆塗膜が確認されたことから、その部分は漆の上直し(すり漆仕上げ)としています。尚、今回の漆工事には、仕上げの段階で全て国産漆を使用しています。



(3)彩色修理
こちらも67年が経過し、汚れの付着や退色が進み、日光や風水による剥落も多く見られます。また、彫刻の欠落も多く見られる状態となっていることから、欠落した部分の修繕や彩色については書き落としの上、レーザー測定などにより残存する移築時の顔料成分の特定や模様を調査・特定して塗り直しを行っています。但し、観音堂内陣や裏廊下は移築時の彩色が認められることから、その部分は洗浄の上、剥落止めを施し保存しています。



(4)飾り金具修理
失われている金具は、周囲の同様模様の金具を見本に作り直し、修繕できる金具は歪みなどを調整しています。また仕上げは、鍍金(水銀を使用した金メッキ)を行って修理しています。

国宝『唐門』及び重要文化財『観音堂』『舟廊下』について

唐門
指定年月日 明治34年(1901)3月27日
構造形式 一間一戸向唐門、檜皮葺
建立年代 慶長8年(1603年)〔棟札〕
建物の特徴
唐門は観音堂の西側に建ち、背面は観音堂に繋がっています。京都東山の豊国廟の唐門または極楽門を移築したと伝わるもので、極楽門が大坂城から豊国廟へ移築されたという説が強くなっており、秀吉時代の大坂城の唯一の建物と考えられ注目されています。慶長期の島内諸建築復興時に移築され、慶長8年(1603)に建立されました。妻や桟唐戸およびその両脇などに大胆な意匠の彫刻をはめ込み極彩色をほどこしています。建物全体は黒漆塗を主とし飾金具や極彩色の彫刻などで飾った華麗な門で、豪華絢爛な桃山時代の建築を代表する唐門です。
観音堂
指定年月日 明治34年(1901)3月27日
構造形式 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、檜皮葺
建立年代 慶長8年(1603年)〔棟札〕
建物の特徴
観音堂は、唐門の東側に建ち、更に東側に渡廊が連なります。建立は唐門と同時期の慶長8年(1603)と考えられています。傾斜地に建つことから床下に長い柱を立てて建物を支えているため、部分的に懸造(カケヅクリ)となっています。桁行五間、梁間四間の中心部分の周囲に縁を廻し、縁先柱を軒までのばして囲いとし、窓を設けています。中心部分は南側一間通りを外陣、北側を一室の内陣として本尊の千手千眼観音立像(鎌倉時代)を安置しています。床下まで柱に黒漆が塗られていることから移築されたことは明らかで、唐門と共に豊国廟から移されたと伝えられています。
舟廊下(渡廊)
指定年月日 明治34年(1901)3月27日
構造形式 高屋根:桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺
低屋根:桁行八間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺
建立年代 慶長8年(1603年)〔棟札〕
建物の特徴
重要文化財の宝厳寺渡廊は、唐門などと同様に、慶長8年(1603)の建立であると考えられています。
宝厳寺観音堂から都久夫須麻神社に至る屋根付きの幅一間の廊下で、桁行八間の低屋根と桁行二間の高屋根に分かれるています。天井は垂木を見せる勾配形の化粧屋根裏で、柱間に連子窓を配します。
豊臣秀吉が朝鮮出兵に使用した御座船日本丸の船櫓の材料を用いて建てたという伝承から「船廊下」と呼ばれています。